純米酒「かじや村」











  純米酒「かじや村」がマキノ町海津の吉田酒造で誕生。南市の山形屋・安原酒店にも置いて頂いています。このお酒の誕生までの裏話を、南市区のホームページに載せるのはどうかと言われそうですが、南市区に関する出来事を、なるだけ多く紹介したいと思ってアップしました。
  このお酒の原料米・山田錦は、ホームページの管理者・平井が作っています。その山田錦の写真も下の方に載せてあります。
 2007/2/15
 吉田酒造の専務・肇君と、何度も何度もメールでやりとりして、どうやらラベルのデザインが決まりました。ようやく本格的な販売までこぎ着けましたので、あちこちから注文を頂いていた分の宅配伝票を作り、2月8日に発送を依頼してきました。幸いコクがあってしかも飲みやすいと好評の様で、喜んでいます。
  一番左のラベルでも発売したのですが、その後少し手直ししました。真ん中の瓶が現在市販しているデザインです。その左は瓶の裏面で右はプロトタイプ、一番右は私の試作したラベルです。
  右から2つ目のプロトタイプのラベルのお酒は、どうしてもと言う知り合いの頼みで、数量限定で試験販売したのですが、文字通り幻のお酒になりました。


 2007/1/21
 吉田酒造の専務・肇君と何度かやりとりし、こんなラベルではどうでしょうと送られて来ました。少し手直しが入りますが、大体こんな所で純米酒「かじや村」が発売になりそうです。


 2007/1/19
 純米酒「かじや村」のラベルをデザインするのに、絵に色が付いていればラベルが華やかになるとの吉田酒造専務の肇君の意見で、画家の福山聖子さんに着彩をお願いしていました。今日、福山さんから小包が届き絵が送られて来ました。お手紙には「新聞掲載の原画に着彩ができませんので、別に描いてみました」とあり、同じ構図で彩色された我が家の絵が届きました。早速デザインを見直そうと思っています。


 2007/1/16
 1月16日、吉田酒造から絞りたての純米酒、「かじや村」が届きました。まだ試作第1号というラベルのデザインについて、思うところを電話すると専務の肇君は、「お酒の味わいはすっきりとしていて、満足のいく出来映えです。」と言ってくれました。まずは一安心です。右の4合瓶のラベルは、私の試作品を瓶に貼り付けたもの。左の1升瓶の方が本物です。
 「寝酒にでも、是非飲んでみて下さい」とも言われましたが、1升瓶の口を開けたら我が家では持て余してしまいます。機会を見てもっと大勢の人と飲める時に、一緒に試飲をしてみる積もりです。




 2007/1/9
  20年近く前、いずれそんな時代が来るやろうと考えて、兵庫県の後輩から山田錦の種籾を少し送って貰い、我が家と清水農園とで試作した事があります。12年前、マキノ町海津の吉田酒造から電話が入りました。詳しい経緯は「山田錦と花嵐」 に載せていますが、吉田酒造の吉田肇専務・得意先農家の吉原紘二さんと共同で、マキノ町で作った山田錦を使って「花嵐」が醸造されています。
  昨年初めて、我が家の自作地でも山田錦を作りました。残念ながら収穫直前に、別の田で稲刈りをしていてコンバインのキャタピラーが切れ、修理に時間が掛かって刈り取り適期を逸し、少し胴割れが発生。無理に50%まで研いて大吟醸にするより、65%まで削って純米酒にする事になりました。
  それならば、いっその事別のブランドにして貰おうとお願いし、純米酒「かじや村」が誕生することになりました。ラベルを作るに当たって、書は高島高校で書道を教えておられる、西川桂邨先生にお願いしました。家内の美代が同じく高島高校で保健体育の教師をしており、快くお引き受け頂きました。
  絵は我が家のスケッチです。事情は「平井肥料店」 の「我が家が朝日新聞に」に掲載していますが、今回こういう風に使わせて頂きたいとお願いし、画家の福山聖子さんにお許しを頂きました。この絵は朝日新聞の挿絵用に描かれた物なので、淡彩で色を付けて貰い、ラベルに使わせて頂く予定です。
  ラベルにも書きましたが、「かじや村」と言うのは私が生まれ育った「鍛冶屋村」。安曇川町大字田中字南市の中に更に小さな小字があって、南市から200mほど山寄りにあります。我が家の母屋に当たる隣家から分家して、私で13代目だそうですが、その隣家は江戸時代、刀鍛冶だったと聞いております。分家である我が家も、刀鍛冶の手伝いくらいはしていたのかなと思っているのですが、鍛冶屋村と言う名前の由来も、先祖が刀鍛冶であった事に依るものでしょう。
 2006/10/27
 山田錦の作付けは、2枚の圃場で合計面積5反半。収量は33俵半でした。








 2006/8/22



 2006/6/19  田植え





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